7/25 2024

暦の上では夏という事になっているらしいが私の中ではまだどこか夏という季節には到達できないでいる。何故か色々な事に追われているからであろう。追われているという表現はあまり好きではないので追手の背中を一周まわって追っているというトムとジェリー的な発想はさておき久しぶりに文章を投稿する事で執筆する感覚を取り戻す。外部に公開されているが内部で完結する程の緩やかな自己完結型の手記的な存在としてのブログは振り返りやすく記憶装置の外部化として役になっているのではないかと思う。過去の自分がコミケで初めてサークルで同人誌や画集を買ってワクワクしている姿を見ると初々しいというか一つ変わってしまった自分の現状をそこに見出して何か悲しさというか脱皮した虫がその抜け殻に居た頃の自分を回顧するような感覚を得た。エロゲというかビジュアルノベルは今でも自分の中のライフワークに組み込まれて時間はあまり取れないのだけれどちょくちょくプレイしてニヤニヤしている。最近は責任ある立場に身を置く必要性に駆られて脳のリソースを割かねばならず表面上の時間以上に精神的に疲弊している。純粋に自分の時間だけを過ごせた過去の自分を振り返りたいという想いからろくに更新もしないが一時の感情で始めた過去のブログを覗きに来たのかもしれない。そして、今の自分もまた同じような状況に立たされているという事には当時の自分は未だ気づかなかったのだと2年後ぐらいに言っていたら呆れた未来予測である。

10月3日(2)

大学生活が本格的に始まったため半強制的に生活リズムが矯正されるわけだが、夏休みで調律の乱れた生活リズムはそう簡単には整わないのが現実である。と言いつつもしっかりちゃっかり大学生活に身体が順応しているような気もする。人間は必要とあれば夜型の生活から朝型の生活に転換することも可能という可塑性に優れた一面も持ち合わせている。とは言ったものの昼食後の3時あたりで血糖値の低下と睡眠不足、従来の生活リズムとの乖離というトリプルパンチを食らい睡眠世界に誘われるのだがカフェインのカを借りることで事なきを得た。しかしその弊害というか副作用として現在私は眠れぬ夜を過ごさなければいけないのだがおそらく眠たくなるのが明け方で結局早起きしたにもかかわらず生活リズムを戻すこと能わずという結末。火曜日は幸いにも授業数が少ないため持ちこたえることが可能かもしれないが水曜日は5コマあるので実質ベストコンディション以外は死を宣告されたも同然である。一限に行けない人間は2限からも顔を出さないというのが大学生の相場であるとまとめサイトで書いてあったためおそらく真実なのだろう。とにかく明日は万全の状態で夜11時までに寝ないと学費という名のコインを投入してもう一年遊べる羽目になってしまう。高い高い学費を奨学金を借りることなく親のすねにかぶりついてねん出していただいているにもかかわらずさらに両親の生活レベルを下げさせるのは慙愧の念に堪えない。現状、爪に火をともして生活をしているという旨を聞かされているのでもし仮に私があろうことか留年などしてしまったらおそらく父親の残り少ない髪に火をともして生活することを強いてしまいかねない。無い髪を燃やされるというのは非常に屈辱だろうと父を慮ると涙が止まらない。流れた涙は川になりやがて雨になって父親の頭皮に恵みの雨を降らせるだろう。そして、

10月3日

描いている日付は4日であるが内容物に関しては3日についてなのでご容赦。大学が本格的に始動したのでここに記そうと思う。月曜1コマというものは受講する全学生を恐怖のどん底へ陥れるものである。昨日すなわち日曜は緊張で眠れぬ夜を過ごした。もちろん眠れぬ夜は眠れる夜なので私は熟睡し確り授業が始動する1時間半ほど前には起床し身支度を済ませ居てたが。月曜1コマは落単というが大学開始数週間ほどはその効力が目に見えることは無いだろう。人間は慣れると緊張感を失いミスや過ちを犯してしまうものである。しかし、大学で学友づくりに失敗してしまった私にとっては毎日がスリルに満ちた緊張の連続である。そのため一般的な学生のように慣れが生じる可能性が低く適度なストレスにさらされ精神をすり減らす代わりに遅刻といった所業は犯さないものである。学友に恵まれない学生は一回の遅刻や欠席で落単街道をひた走る羽目になることをあらかじめ予期しているのである。一度の失敗も許されないという点において友達の少ない学生は学友に恵まれた一般的な大学生と性質を異にしている。一般的な学生が級友に恵まれているという表現は適切な表現か否かその正確さを保証することは出来ないが主観的に一般的な学生はすべからく級友に囲まれ大学生活を謳歌するものだと解釈してる。謳歌という言葉の辞書的な意味合いは声を揃えてほめたたえるということらしいが。一人でいる人間は常に自分とのチューニングができているため謳歌し放題という親切設計である。いくら調和のとれた集団であっても失敗が生じてしまうのが必然で、社会的な人間としての性と言える。しかし、調和はn>1の場合のみに起こりうるものか、否n=1の場合も適用される。まぁ、虚勢と詭弁を弄したところで同じ学科に一緒に講義を受けるような人がいないという事実は覆りようがないんですけれど。

10月2日(2)

書くことがないというネタを書けるという非存在の存在というような詭弁まがいのことは言いません。これと言って書こうということは無いけれど執筆しているとそれとなく話題が浮かび上がってくるので取り敢えず文字を打ち込んでいる。最近はアニメや音楽に終始する日々が多い。どうにもコンテンツを受け取ってばかりというか受動的な姿勢でいることが多いため、自分もコンテンツを生み出す側の人間に変身してみたいと思い始めた。アニメや音楽を創作するとなると敷居が高いと思い、文章活動、ブログや執筆の類を始めてみた。執筆活動はアニメや音楽と異なりペン一本で太刀打ちできる点が創作の端緒として適している。始めやすさの観点では飛び込みやすいが世に出版されているような書籍のレベルに到達するのはそれなりの時間を要すると推測する。そもそも、執筆活動を始めたばかりの私のようなアマチュアは一般的な書籍のようにページ数に到達すること自体困難であろう。それでいて中身の籠った文章を書くとなるとやはり一筋縄ではないのだろう。文章を書く行為は伝えたい内容と伝えたい相手が想定されてるケースがほとんどで私のブログのような両者を備えていない事例はまれであると自負している。それでもこのように文章を書き連ねていくことで文章力の向上にはつながるので良いのではないかと思う。執筆は量ではないというけれど世の中には1時間の間に数千文字を書き起こす人間が存在するようだがにわかには信じがたい。同じ人間なのか疑ってしまわざるを得ない。神業というようにもしかすると裏で糸を引いている存在がいるのだろうか邪推するのもやむかたないか。人間は因果関係を説明できないときよく空想の存在を脚色して都合のように振舞わせるのが得意だなとつくづく思う。単位を落とした時に妖怪のせいにしてしまう私が本当の妖怪なのかもしれない。

10月2日

夏休みとは過ぎてみるとあっという間で実は夏休みなど最初からなかったような気さえする。アクティブとは対極にある私はほとんどの日々を家で過ごした。家というものは非常に心地が良く、人間の安定を求める本能から私はおうちで怠惰に暮らすことを求めていたように思う。まあ長きにわたった夏休みの堕落生活も終止符を打ったわけだがさてどうしようか夏休みに何か形あるものを残せなかった私はブログという形で形あるものを残そうと悪あがきでもするわけです。文章とは他者のために知識や考えを残して伝えるものである。しかしこのブログは特筆して読む価値のない空虚な文字列すなわち空文字ということで自己満足ではあるがブログを残していこうと思う。拙い文章でも日々の執筆を重ねればそれなりになるのではないかと。ろくに読書や執筆という行為をやってこなかった人間なのでこの年にして句読点や読点の打ち方さえままならない。

エロゲを買った話

 

エロゲを買った話

コミケでの出会い

興味本位でコミックマーケットC100の一般参加のチケットを購入したところなんと両日当選したため戦地へ赴く準備をして有明の海へ向かった。1日目の8月13日(土曜日)は台風の接近により大雨が予報されていた。数々の伝説を残してきたコミケは台風の進路を変更することも可能ではないかと一部の参加者から期待と嘆願の眼差しが向けられていたがコミケは期待を裏切ることなく台風直撃。参加していた私はちょうど台風の猛威がピークに達したタイミングで歴戦の猛者たちと肩を寄せ合い何とか事なきを得た。本題から外れてしまったが購入したタイトルは株式会社ぱれっとの9-nine-である。和泉つばす先生がキャラクター原案を担当されている作品で製作はアニメ化もされたましろ色シンフォニーを世に送り出したぱれっとである。今回参加したコミケぱれっととしてではなく全身の翡翠亭という同人サークルとしての参加であった。私は翡翠亭の存在こそ知らなかったがTwitterのタイムラインで流れてきた9-nine-の原画集に魅了されてコミケ初参加にして1時間半の炎天下での大行列を乗り越え原画集を購入するに至った。2日間にわたるコミケでの死闘を経て帰宅したものの私は9-nine-という作品を全く知らないことに気が付いた。少々の罪悪感にかられアマゾンで9-nine-ここのつここのかここのいろをぽちっと。そして現在私はエロゲデビューを果たそうとしている。この記事を書いているということは私はもう

 

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自身を振り返る

最近、よく自分がどのような存在であるか顧みることがあります。高校時代は受験勉強という一本の柱をご神木のごとく支え続けることでアイデンティティを保っていたため、自分の存在を深く省みる機会はありませんでした。自分を見つめるのは根気のいることで正直つらい部分があります。安易に成績というチープな指標を以てして自己の存在を証明しようとする節があります。目的もなくただ勉強をするということは考えずとも出来てしまう楽な行為であり、自分を認めてくれるような気もします。だが、それで本当にいいのだろうか私の大学生活が勉強という手段であって目的ではない行為に染め上げられてよいのだろうかと。受験期の学生が陥りやすい合格の目的化にはくれぐれも注意が必要だと思います。僕自身、高校時代にただ目的もなく模擬試験で高い点や良い判定をとればそれでいいと思い込んで、自分を見つめることをしていませんでした。実際は逃げていただけかもしれません。私が在学している学部を決めたのは、学校で半ば強制に行われた探究活動でした。正直、高校に在学していた際は探究活動などに意味はないというマインドでしたが、実際に形だけでも自分の興味がありそうな分野についてリサーチすることは後生を生きるうえで無駄にはならないと思います。何を書いているのわからなくなったので終わります